2004年

ーーー7/6ーーー 夏のトレーニング  

 夏が来れば思い出すのはトレーニングである。

 ランニングや筋肉トレーニングは、30台の半ばまでは年間を通じてせっせと行なっていた。会社勤めをしていたその当時、昼休みのベルが鳴ると職場を飛び出して走りに行ったものである。5キロほどを全力で走り、その後に腹筋、腕立て、スクワットなどの筋肉トレーニングをやる。そのようなトレーニングの目的は、登山のための体力作りであった。その頃は、毎月のように登山に出かけていたので、トレーニングにも身が入った。登山を楽しむためには、まず体力が肝心だからである。

 信州に越してからは、山は近くなったのに、登山からは遠ざかってしまった。登山という励みが無くなると、体力に対する関心も低くなり、トレーニングをしなくなった。もともとスリムな体形だったので、太ることは心配していなかった。日常のトレーニングをしなくても、特に問題は生じなかったので、すっかり縁遠くなった。

 ところがここ数年の間に、ぶくぶくと太りだし、いわゆる中年体形になってきた。家内から「妊娠7ケ月ってとこね」などと揶揄されるようなお腹になってしまったのである。厚着をする冬の季節ならあまり気にならないが、夏になるとその醜い体形がすごく気になる。夏が来るとトレーニングを思い出すのは、そのような理由からである。

 というわけで、今年も2週間ほど前からトレーニングを開始した。基本的にはランニングとサイクリングを一日交替で。それに腹筋やダンベルなどの筋トレをやる。陽が傾いて涼しくなった夕刻をねらって家を出る。トレーニングが終わったら、シャワーを浴び、体重計に乗る。一喜一憂の瞬間である。正直なところ、過去の経験から言うと、かなりがんばっても体重の減少は微々たるものである。体重が一割下がることは観測されたことがない。それでも走らずにはいられないのは、それだけ事態が深刻なことを物語っている。




ーーー7/13ーーー 関西人

 大阪で学生生活をしている息子とメールでやりとりをしていたら、「関西人ってけっこう真面目なんだ」ということを書いてきた。一日中冗談ばかり言っている人種かと思ったら、意外に真面目な面を持っているというのである。さらに、ユーモアは好きだが、判じ物的なややこしいジョークは好まれないようだと。

 そのことを知り合いの関西人に話したら、「そりゃもともと偏見があるからや」と言われた。確かに関東の人間には、関西人に対するある種の固定観念がある。あまり良いイメージではない。しかし、実際に付き合ってみると、けっこう馬が合ったりする。私自身会社勤めをしていた頃に、多くの関西出身者と交流を持つ機会があったが、親しい付き合いに発展したケースが多かった。また私の知り合いの中には、東京から関西へ転勤して、当初は嫌だと思ったが、半年もしないうちにすっかり気に入ったという人もいる。

 「気取った奴、キザな奴、威張った奴。こういうのが関西人は一番嫌いやな」とは前述の関西人の弁。関東人の関西人に対するイメージの中に、そういう感じはあるだろうか。やはりその地に住んで暮らしてみないと、真実の姿は見えてこないのだろう。息子もなかなか良い経験をしつつあるように思う。



ーーー7/20ーーー 娘の部活

 中学三年生の娘のクラブ活動が終わった。バスケットボールの長野県大会。各地区から勝ち抜いて来た代表16校で争われる最終ラウンドである。期待も空しく、娘のチームは大会屈指の強剛チームの前になすすべもなく、あっさり初戦敗退となった。選手も、応援の父兄も泣いていた。私には、特にそのような感情は無かったが、別の意味で感慨深いものがあった。

 娘は幼稚園の年長の頃から、運動方面に異常なほどの関心を示すようになった。小学校に入ったときには、エネルギーを持て余して、荒くれ者の気配さえ見せた。そこで、ごく小さい者でも受け入れてくれる、町の卓球クラブに入れた。上達ぶりは目覚ましく、翌年には小学生低学年のクラスで長野県の一位となり、全国大会に進んだ。それを皮切りにして、5年生までに県内の小学生3階級の全てを制覇した。そして、個人で3回、団体で2回全国大会に出場した。それまでスポーツでは全く活躍が無かった我が家に、賞状、メダル、トロフィーの類があふれかえるようになった。最高順位は全国3位であった。

 将来を期待される卓球選手であったが、5年生のときにバスケットボールに転向した。学校の体育の授業で手を染めて面白くなり、ミニバス(小学生のバスケットボール)のクラブに入りたいと言い出したのである。卓球クラブの中での立場がややこしくなってきたことも原因だったかも知れない。私はその当時、娘の卓球に賭けるつもりでいたので、たいへんショックを受けた。しかし、本人の意志が傾いてしまってはどうしようもない。断腸の思いで娘の卓球を諦めた。

 ミニバスから中学のバスケ部へと進み、それなりの活躍はしたようである。キャプテンとして背番号4を着け、40名ちかい部員を抱えるバスケ部の部長も勤めた。昨年秋の新人戦では、郡大会、中信大会を勝ち抜いて県大会に進み、そこでも勝ってベスト8に入った。穂高の中学校の女子バスケ部では数十年ぶりの出来事であり、関係者を驚かせた。

 しかし、見かけの成績とは裏腹に、いろいろな難しいことが有った。卓球のときに一度懲りているので、私はのめり込むことはせず、距離を置いて見ていた。それでも娘の悩みは聞いてやらざるをえない。我が家の夕食時の会話のほとんどが、バスケの問題に関する話題で費やされることもしばしばであった。

 私は今、娘のクラブ活動が終わり、スポーツに係わるいざこざから完全に解放されたことを嬉しく思っている。小学1年生から数えておよそ8年間。長いトンネルからやっと抜け出したような気分である。

 それにしても、義務教育の過程に於けるスポーツが、もっと楽しく、溌溂としたものとして存在しえないのは、何故だろうか。  



ーーー7/27ーーー 手書きの文字

 手書きの字の汚さは、自分でも呆れるくらいである。会社勤めをしていた頃は、同僚にも馬鹿にされた。「幼稚園児のような字で書かれた書類を見たら、仕事をやる気がしなくなった」などと言われたことがある。また、息子が中学生のとき、学校へ連絡書を提出したら、担任の教師から「自分で書いてはダメです」と息子が怒られた。父兄の字には見えなかったのである。

 何とか人並みに整った字を書きたいという願望は、昔からあった。しかし、これといった改善の努力をしないまま、今日に至っている。これは死ぬまで直らないだろうという、諦めの感情が優勢だったのだと思う。

 家内が本屋でパートをしていて、ペン習字の入門書のようなものを買って来た。つい最近もまた、私が字の下手さをぼやいていたので、損にならない程度の値段の本を買って来たのである。その本に目を通したら、「なるほど」ということがいろいろ書いてあった。実際にペンを持って試してみると、それなりの字がすぐに書けた。この歳になるまで、母国語の文字の書き方について、なんと無知であったことか。

 その本の冒頭に、「字が下手だと損をする」というようなことが、例を挙げて書かれていた。字が汚いと信用を得られないから不利だとも書いてあった。

 家内の知り合いの人の旦那は、法律事務所に勤めているのだが、やはり元々字が上手くなかった。それが仕事の上で不利になると感じたので、習いに行ったこともあったそうである。字が上手になって、安心して仕事ができるようになったと、その旦那は現在の心境を述べる。やはり綺麗に字を書くということは、社会生活の上で大切なことなのだろうか。

 ところで、その法律事務所の人が言うには、破産などのトラブルに巻き込まれ、法律的な手続きをする人たちの書類は、何故かとても字が綺麗なのだそうである。




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